まだまだ暑い日が続きそうです。
皆様においては、お変わりなく過ごされていることをお祈りします。

私は、年に数回有志で、IT関連の仕事仲間たちで開かれる読書会の運営に携わっています。
ここ半年で数名からの問い合わせが急に来るようになり、正直驚いています。
定員も限られており、ブログ以外では活動を公開していないクローズな集まりです。
しかも、課題図書もソクラテスから本居宣長、ブルガーコフ、ダニエル・ヤーギンまで、古今東西、意図的にさまざまなジャンルを取り上げています。
ある種のマニアックな集まりなのですが、こういった集まりに能動的に問い合わせが来るというのは、そういう時代になったのかと、改めて思いました。
気候変動、自然災害、経済不安、戦争、など、いままでの正攻法では世の中渡り歩けない昨今、本を通した自分との対話から生まれた「知」が求められているのかもしれません。

私、三津田治夫の活動の本望である、「本」と「テクノロジー」の結合が、こうした場で実現し、世の中に広まるとよいと思っています。

「本」と「テクノロジー」が人の心と社会をよくする。
ぜひ、実現してまいりたいと思います。

●今月のブログ
編集者、その愛すべき人種たちの未来
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2022/08/10/103817

●今月の雑感:インフラとしてのWeb1からWeb3への流れを、体験から整理する
Web3というキーワードがあちらこちらから聞こえてくる。
先日は昼のラジオ番組でも取り上げられていた。
テーマは、「Web3の悪徳商法に気を付けよう」だった。
「Web3だから儲かる」と騙る詐欺があるらしく、ちょっと驚いた。
近未来通信事件やマウントゴックス事件など、新しいITには詐欺や事件がつきものだ。
過去の出来事を見ても、新しいITであるWeb3というキーワードは、詐欺の温床になる可能性は高い。
ちょうど雰囲気が、1995年前後の「インターネット」というキーワードのとらえられ方に近い。上記ラジオ番組でも、女性アナウンサーが、「Web3ってなに?」と何度もゲストに質問をしていた。

黎明期のインターネットもまさに、「インターネットってなに?」であった。
当時のインターネットは怪しげで、神秘的で、得体のしれないものだった。
いまでは普通に使われているSNSも皆無で、掲示板ですら「セキュリティホールになる非常に危険な技術」とされていた。
企業のホームページには電話番号など掲載していなかった。
とにかくインターネットは、怪しげで、危険なにおいが漂う存在だった。

詐欺に引っかからないいちばんのポイントは、「Web3とはなにか?」を大づかみに知ることだ。
一言でいえば、インターネットとブロックチェーン(オープンな分散型台帳)によるインフラである。
細かい定義をし出すときりがないが、これが最も大づかみなWeb3である。

Web1が完全なフリーで勝手に使えるナマのインターネットで、
Web2がGoogleやMETA(旧Facebook)などの大企業が主体となり、
インターネット上でサービスを提供する形態で、
Web3ではオープンソースのブロックチェーンが自律的に動き、
それを利用して仮想通貨やサービス、商品を流通させる、という形態だ。
Web2の主体が企業だとすれば、Web3に主体はなく、自律的に勝手に動いている(もちろん、オープンソースの開発・運営コミュニティなどの力によるが)という点が双方の大きな差である。
そこに、メタバースやDAO(分散型自立組織)、NFT(代替不可能なトークン)というキーワードが付随し、これらが組み合わさってさまざまなシステムとサービスを構成する。
その意味でも、Web3は間違いなくインフラである。

こうした動きを見ていると、Web1とWeb2の狭間に出現し、世界を変えていったオープンソースソフトウェアのムーブメントが再びこの時代に現れてきたという印象がぬぐえない。
個人的にもオープンソースソフトウェア関連の書籍は多数編集した。
このころのエンジニアたちの熱気を思い出しているような感覚がいまはある。

オープンソースソフトウェアとは、一言でいえば、フリーソフトをボランティアのコミュニティで作成・保守し、共有する仕組みだ。
改変も商用もOKである。この時代に登場したものが「LAMP」(Linux、Apache、MySQL、PHPによるソフトウェア環境で構築されたWebシステム)で、LAMPなしにWeb2以降のインターネット史を語ることはできない。

▲夢のインターネットとオープンソース
インターネットやオープンソースが出てきたときの世の中の雰囲気を私は昨日のことのように覚えている。
こんな声が周囲からよく聞こえてきた。

「インターネットは誰でも自由に無料で使える夢のオンラインネットワークだ」(パソコン通信は有料だった)
「オープンソースは開発者に対価を支払うことなく、ソースコードを公開することで商用も可能な素晴らしい仕組みだ」(マイクロソフトもアップルもIBMも販売するソフトウェアはソースコード非公開)
「無料で使い放題のネットワークとソフトウェア。しかも商用も可能」
ということで、人々は「これはビジネスチャンスだ!」と飛びついた。

インターネットサービスプロバイダになる者がいたり(ADSLの登場でほぼ全滅)、オープンソースソフトウェアでサービスを開発し大ヒットを出したり(MIXIや2ちゃんねるなど)、日本でもある種の熱狂があった。

しかしながら、「インターネットだから儲かる」「オープンソースだから儲かる」は、いっさいなかった。
一般的なビジネスと同様、「お客さんに支持されたから儲かった」である。
優れたプレイヤーたちが、インターネットやオープンソースといったインフラを利用して儲けを出したのである。

直近のインターネット史を見ただけでも、「Web3だから儲かる」がないことは一目瞭然である。
「ガスの方が炭火よりも燃焼効率が高いから儲かる」がないのと同じだ。
ガスで美味しい料理を作って上手に売るから儲かるのである。

▲「競争の物差し」が変わってきた
このように、インターネット史における次世代のインフラとしてWeb3を見据えると、Web3の構成要素であるNFTと、Web3が実現するDAOの表面と内実が見えてくる。

NFTはアーティストやクリエイターたちのデジタル作品の自由な流通に寄与し、彼らの富と自由度を向上させ、DAOが非中央集権型の自律的で自由な組織を実現し、いままで富と自由の少なかった人たちにさまざまな機会を提供する、と考えられている。

しかしWeb3をインフラとしてとらえると、Web3を利用した上位プレイヤーは必ず存在し、優れたプレイヤーと劣ったプレイヤーの格差の乖離は日々増していく。
つまり、アーティストやクリエイター、いままで富と自由の少なかった人たちは、Web3の優れた上位プレイヤーの中に取り込まれていくはずだ。

その上位プレイヤーが誰になるのかは、わからない。
マイクロソフトがなるのでは、と予測する人もいる。
もしくはMETAかもしれない。
となるとGAFAM(Google、Amazon、Facebook、Apple、Microsoft)の支配するWeb2時代にまた逆戻りするではないか、という印象も得る。
これにより総ドリ総勝ちのネット社会に戻るのでは、という意見も出る。
そうならないように、Web3を本来あるべき姿に導き、啓蒙しようという識者や文化人は存在する。

Web3とはいえ、目下の資本主義社会に置かれているがゆえ、
競争のインフラとして利用されることは宿命である(その意味で「Web3は儲かる」のかもしれない)。

しかしながら重要な点が一つだけある。
それは、「競争の物差しが変わってきた」、という点である。

見てのとおり、社会は激変している。
昭和のように、企業は売り上げと収益を出せばよい、という時代ではない。
とはいえ企業である限り、ボランティア活動はできない。
従業員も社会的な生活を営みながら企業の活動に貢献する、という働き方の変革が行われてきた。
かつては、従業員が不眠不休で24時間戦うことがよいこととされていた。
「ブラック企業」という言葉は、こうした時代との相対性から生まれてきた。

昭和の企業はブラックで当たり前で、その枠組みの中で企業は収益を増やし事業を拡大し、従業員は月給を増やし住宅や車を買うなど物的な生活を豊かにしていった。
不眠不休で24時間戦うことによるリターンが得られなくなった今日ゆえに出現した「ブラック企業」という言葉である。
それに昨今は、住宅や車を買うなど物的な生活を豊かにすることで喜ぶ人の数が減ってきた。
長年のデフレやシェアリングエコノミーの普及で、人が抱く物体の所有に対する「夢」というものがなくなった。
こうした、社会的な一方向を向いた夢がなくなったいまだからこそ、人の心の揺らぎや社会不安が増大しているのだ。

▲インフラは同じだが機能が異なるWeb3
Web3によるオープンで自由なネット社会に私は期待している。
が、強大なプレイヤーが牛耳り、本来あるべき自由が奪われてしまうのだろうか、という一抹の不安もある。
Web3しか知らない人から見たら「不自由だ」と思うかもしれない。
しかし、Web1からの違いを相対的に知った人の目から見たら、非常に自由であるはずだ。

Web1の時代は、いまでは当たり前のインターネット常時接続が大衆の間に存在しなかった。
当時は電話回線を経由してインターネットに接続していたので、アクセスポイントが市内にある場合で3分10円の通話料を必要としていた。
それを思い起こすと、GAFAM支配のインターネット社会も、とても自由なものに感じる。
また、インタラクティブなサービスが少なかった。
あるのは掲示板や日記ぐらいであった。
YouTubeのような大衆的な動画サイトは皆無である。
3分10円の通話料で動画を何時間みられるのかという問題があり、そもそも回線速度が恐ろしく遅かった。
それでも、人々は熱狂してインターネットを楽しんでいた。

Web1とWeb2の違いは、車にたとえたらT型フォードとテスラのようなものだ。
インフラ(道路で走っている)と機能(人とモノを移動させる)は同じだが、うわべ(かっこいい、エネルギーが電力)で相当異なる。
その意味で、Web1とWeb3の違いは、インフラ(以前からあるインターネット)は同じだが、機能(貨幣としてのトークンや組織をつかさどる。
リアル社会にも影響を与える)もうわべ(メタバースなどVR空間やARなどの人間の五感に作用するシステムもある)も相当異なる、ということができる。

▲Web3時代では人間の情熱の価値がますます高まる
Web3が普及しても、変わるものと変わらないものがある。
貨幣(トークン、仮想通貨)へのマインドと人が働く組織の仕組みは、大きく変わるだろう。
変わらないものは、人が持つ意志である。
意志とはつまり、自己内発的な行動を促す「情熱」である。
いわれたことを忠実にオペレーションする人もつねに一定数必要とする。
一方で、オペレーションが苦手で、しかも誰もが認める突出した能力を持たない人も、かなりの数存在する。
いわゆる、「少し変わった人」である。
このような人は情熱さえあれば、Web3社会では浮上してくるだろう。
その他、表面的には見えづらいが、どことなく社会にフィットしていない、実力を発揮していない人も多い。
そうした、いままで目に見えづらかった能力を持った人たちの価値が、その人の情熱を通してWeb3社会に浮上してくるであろう。

なにかを良くしたい、誰かを良くしたい、自分がこうなりたい、といった、自己内発的な欲求から突き動かされてくるものがあり、誰もが認める突出した能力がなくても、その情熱だけで、広大なネット社会において、それを拾い上げ、対価を払う人がいる。

これにより社会の多様化に化学変化が起こり、また新たな現実社会が構築されてくる。
いわば、1980年代に話題になった、地域通貨のようなものだ。
人が地域や社会に貢献した分だけトークンが支払われるという仕組みだ。
ドイツなどで一時盛り上がっていたが、発生原因が資本主義社会に対するカウンター的な性質からも(たとえば、トークンを長時間保有すればするほど価値が減退するなど)、最近はあまり聞かれなくなってきた。

これが、私が体験してきた、Web1からWeb3へとインフラが移り変わる潮流である。

Web3は紛れもないネット社会の大潮流である。

今後の動向も冷静に見ていきつつ、出版やコミュニティなどの活動を通してWeb3のポジティブな動きに貢献していきたい。