西欧では神聖なクリスマスに向けてアドベントカレンダーを用意して
カウントダウンがはじまります。
年末のコンサート中継を楽しみにしている方も
いらっしゃると思います。
日本では師も走る師走というぐらいで、
企業では売掛金の回収や決算、新年度の計画の時期となり、
過去と未来の門ともいえる新年は、もう目の前です。

まだいろいろなことがありそうですが、
考えながら、動きながら、そして楽しみながら、
新しい時代へと、進んでまいりましょう!


●今月のブログ

『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』の中国語繁体字版見本が到着
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2021/11/26/121924

『ゼロから理解するITテクノロジー図鑑』の動画取材を受けました
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2021/11/20/154824

第35回・飯田橋読書会の記録:『現代経済学の直観的方法』
(長沼伸一郎 著)~「縮退」の停止した多様な世界はどこに?~
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2021/11/17/171402

19世紀の哲学者がまとめたビジネス書の原典:『法の哲学』(I/II)
(ヘーゲル著)
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2021/11/06/180035


●今月の雑感:日本人の「論理思考」と「対話」がDXを拓く
師走となり、今年もカウントダウンに入った。
7月に出版プロデュースをお手伝いさせていただいた
日経ムック『DXスタートアップ革命』( https://amzn.to/3qSoBZR )
の発刊から、12月で5カ月が経過しようとしている。
この5カ月で世の中は激変した。
取材した20社は各々の成長曲線を描きながら進化・変化し、市場を急速に
拡大し続けている。
最先端を走り続ける企業がある一方で、多くの企業にとって
DX(デジタル・トランスフォーメーション)はまだこれからが実状である。
そもそも仕事がデジタル化されていないというレベルから、組織や
レガシー資産など諸般の制約でどうしても変えられないなど、さまざまな方面に
企業がDXに振り切れない課題が存在する。
最大の課題は経営にあるが、中でも「ITエンジニアがいない」は深刻で、
社会的な生活習慣病であるともいえる。
さらにそこには、慢性的なITエンジニア不足に加え、世の中の変化速度に人間が
ついていけていないという二つの課題が含まれている。前者課題には各種学校
など教育機関がIT・プログラミング教育という形で取り組んでおり、後者には
当事者が世の中の動きにアンテナを張るという努力目標が掲げられている。

「ITエンジニアがいない」という生活習慣病の病巣
この現状において、「ITエンジニアがいない」が解消できるかどうかは
定かでない。
長年言われ続けた「ITエンジニアがいない」問題はそう簡単に解決できる
ものではない。
ITエンジニアを海外に依存したり、IT・プログラミング教育を普及させる
といった対策はすでに行われているが、いずれも対症療法に過ぎない。
それでは、「ITエンジニアがいない」の根治療法はどこにあるのだろう?
私が考えるのは、論理的思考、いわゆるロジカルシンキングの教育である。
この教育は、言葉を覚え始める幼児期から受けることが好ましい。
論理的思考とは、「AはBである。なぜなら……」「CはDかEかである。
なぜなら……」と、事実と根拠を構造的に認識し、言語化し、人に伝える
能力である。
空気を大切にする日本人にとってはいささか「いやらしい」思考であるが、
この論理的思考の重要さに気付いた人たちは年々増えている。
そこで確認したいのは、とくに昭和世代の人に「論理的思考は理数系の知識で
ある」と誤解している人がいまだ多い点だ。
いま、社会の決裁権を握っているのは昭和世代である。
昭和世代とは、従軍経験者や戦争体験者、また、この人たちによる教育が
施された子供たちの世代だ。昭和世代の誤解を解くことが「ITエンジニアが
いない」への根治療法の一つだと考えている。
その誤解に応えるように「文系ITエンジニア」が1980年代から世の中で一般化
してきたが、根治療法にはならなかった。
いってみたら、「プログラミングのやり方を一所懸命勉強して現場に入れた人」
が文系ITエンジニアだった(私もそうだった)。
そもそも「文系」「理系」と分けること自体がナンセンスだった。
知識の細分化の流れの中で「文系」「理系」の分類がなされた。
しかし、社会が多様化・複雑化する変化の速さが、知識を細分化する速度を
追い越してしまった。
結果、「文系」「理系」という、社会便宜上後付けされた大枠が、意味を
なさなくなった。
この無意味性が、「ITエンジニアがいない」の病巣である。
では、なにが必要なのだろうか?
近年はリベラルアーツという言葉が良く聞かれる。
いわゆる「文系」「理系」の壁を取り払ってさまざまな知識にアクセスする、
という学びの考え方だ。
より根本的な課題として、「対話」こそが、「文系」「理系」の壁を取り払う
最も重要なアクティビティであると私は考えている。
では、なぜそう言えるのか?
そもそも学問の始まりは、言葉であったからだ。
前述の論理的思考の重要性と通じる。
また、論理的思考には数式や論理式が必要だから理系の知能である、という
誤解にも通じる。
そもそも数式や論理式も、専門的な形に変形された「言葉」(=記号)に
すぎない。
我々日本人は日本語を使っているから、日本語という「言葉」さえ使うことが
できれば、誰にでも論理的思考ができる。
ただ、その方法が教育されていない。
もしくは、教育されていない人が決裁権を握っている。
だから日本に論理的思考は一般化していない。

論理思考の第一歩、外国人に伝わる日本語を学ぶこと
「日本語は論理的な言語ではないし、日本人はそもそも論理的に考えられない」
という意見もある。
実際に脳の思考回路として、欧米人は発生した事実(ファクト)を中心に心が
向うことに対し、日本人は発生した事実(ファクト)に加えそれを取り巻く
さまざまな情報(細かな五感や印象)に心が向かうという統計データがある
らしい。
身近な例では、欧米やギリシャの古典文学と日本の明治以前の古典文学を比較
してみるとよくわかる。
いわゆるマインドセットの違いだ。
だからといって、日本人は論理的思考ができない、という理由にはならない。
日本人の脳には独自の論理的思考回路が備わっている。
しかし、それを外国人に伝える「言葉」(=文字や音声の記号)がないだけだ。
このような話をするとしばしば出てくる意見は、「英語ができないから、TOEIC
の点数が低いから、伝えられない」だ。
そのような意見を持つ人は、日本語を外国人に伝わるように学べばよい。
日本語を操る外国人は急激に増えている。
日本語でも外国人に言葉を伝えられない人がいる。
その人は、論理的思考が足りていないからである。

「なぜ?」は対話の始まり
論理的思考は、その力は持たないが決裁権を持った人から見ると、けしからんし、
論破されるから、やっかいな存在である。
とはいえ、決裁権を持つ人には、ビジネスの競争に勝つにはそうしたやっかいな
存在を価値として引き出す判断力が求められる。

昭和の組織社会で対話はまずあり得なかった。
長時間にわたる会議でも対話はなかった。
会議室で従業員たちは、課長や部長など上司の顔色をうかがいながら、口に出す
と彼らに喜んでもらえそうな言葉を必死に選んでいた。
「なぜ?」と上司に問うこと自体、組織にケンカを売るに等しかった。
なぜなら、組織とは、戦争で破壊された日本人が平和な社会のために作りあげた
血と汗の結晶であり、触ってはいけない尊いものだったからだ。
組織があることで、毎月安定した収入が保証され、こどもたちを進学させ教育を
施し、マイホームやマイカーのローンを支払い、一定の年月を務めあげると退職
金と年金を受け取り、余剰資金で脱サラし気ままに起業したり、自由で安定した
老後を送るといった、戦後の焼け野原では考えられなかった(そしていまでも考
えづらい)豊かな生活が約束されていた。

そんな昭和の組織至上主義は、いまでは影を潜めている。
とはいえ、人々の意識の中にはまだ、心地よいノスタルジーとして昭和が深く
焼き付いている。
それゆえに、いま、新しい時代の新しい組織をつくる知恵が求められている。
そうした欲求の表れとして、『ティール組織』(フレデリック・ラルー著)の
ような組織論に読者の注目が集まったところにもみられる。
組織は、安定した社会を守る仕組みである。論理的思考と対話の力で、いままで
の組織は急激に形を変えていく。

アメリカのIT出版人ティム・オライリーは著書『WTF経済 ―絶望または驚異の
未来と我々の選択』(オライリー・ジャパン刊)の中で、これからは
アルゴリズムとデータの時代であり、社会やビジネスの仕組みはすべて
ソースコードで書かれうると断言している。
これは彼らしい極論といえなくもないが、あながち嘘ではなく、私には
腹落ちした。

我々日本人の脳には独自の論理的思考回路が備わっている。
重要なのは、それに自信を持つことだ。
そのうえで、対話をあきらめないことだ。
現場と経営者が論理的思考回路と言葉を共有することで、
そして昭和との世代交代により、
「ITエンジニアがいない」は解消するだろう。
論理的思考と対話を起点として、DXというイノベーションを通し、
日本に新しい社会が出現するに違いない。