気が付いたら、6月が早くも半分を経過。
ここまで来てしまうと一度ぐらいメルマガ配信をお休みしても、
という甘えも出てきます。
しかし、継続は力なり。
中旬におよんでも6月号というころで、なにとぞお許しください。

そして本号、キリ番のVol.40となりました。
Vol.1が2018年の3月の発行でしたので、延べ3年と3カ月の経過。
この3年を振り返りながら、
緊急事態宣言は本当にあけるのかと、目下のことも考える毎日です。

7月8日(木)には、
日本のDXをけん引する守屋実さん監修の、
当方が出版プロデュースと制作ディレクションを手掛けさせていただいた、
以下日経ムックが発刊されます。

『DXスタートアップ革命』
https://www.amazon.co.jp/dp/4532183324/ref=cm_sw_r_tw_dp_B1RJFMQD1DPX0ANMV21J

DXにより事業の急成長を実現させた20のスタートアップを取材した事例と、
識者の言葉から構成されています。
20のスタートアップは各社とても個性的で、
これからの日本を担っていく企業たちばかりです。
生のDXを読んでいただくことで、座学にとどまらず、
「やってみる」という行動のきっかけにする、が本書の意図です。
IT関係者やWeb制作関係者など、何人かに査読をいただておりますが、
「これはイノベーションの本だ」「まさに革命の本。書名に偽りはない」
というコメントをいただいております。
ぜひ一読ください。

ちなみに発売前、DX祭りがネット上で展開されます。

発刊も含め、さまざまな動きを、お楽しみに!


●今月のブログ

DX時代のITエンジニアのための、キャリアづくりの考えるヒント
 〜要素技術とエンジニアリングの間に見えたもの〜
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2021/05/28/192410

読書ノート:『群衆と権力』(上・下)
(エリアス・カネッティ著)
https://tech-dialoge.hatenablog.com/entry/2021/05/01/090104


●今月の雑感:本当のUXとはなんだろうか?
という疑問から気づいた、多様性の評価、見えないものを見る重要さ

最近またUX(User eXperience)が注目されている。
本稿では、日本のITがこの20年で世界から急激に遅れをとってしまった原因が、
UXの周辺から出てきたのではないかという疑問を、ITの歴史から紐解き、
考察してみた。

Webサーバーの在り方を塗り替えた、LAMPの登場
ECが徐々に普及してきたのは1990年代後半からだった。
HTML、JavaScript、Flash、CSS、Ajax、
その他もろもろのJavaScript派生ライブラリ技術、HTML5など、
Webフロントエンドで表現を豊かにする技術が発展するとともに、
CGIやPHP、LAMP(Linux/Apache/MySQL/PHP)といった
バックエンド(サーバーサイド)の技術も同時並行的に進化してきた。

インターネット月刊誌編集者時代の昔話をすれば、
1990年代後半、CGIが普及しはじめたころ、
「CGIはサーバーに穴をあける危険な技術」と言われ、ECでの利用はまずなかった。
おもに使われていたのは掲示板など、
金銭や個人情報のかかわらない情報のやり取りである。
プログラミング言語にはPerlが利用され(CGIは本来Perl依存ではないが)、
Perl/CGIともよく言われた。
「2チャンネル」はPerl/CGIを利用した掲示板として、
当時は一世を風靡した(ちなみにPerlを利用した元祖SNSにMixiがある)。

当時主流のWebサーバーはCERN httpdだったが、
NCSA httpdは「CGIが使える」ということで急速にユーザー数を増やした。
OSとしてのLinuxはかなりマイナーで、当時のメジャーどころはFree BSDだった。
NCSA httpdはのちに「Apache」と名前を変え、
OSSとしての体制とブランドを強化していくことになる。

セキュリティの確保やWebサーバーの運用は面倒だった。
当時は優秀なIT職人さんが個別にシェルスクリプトやPerlなどを逐一書いて
ログ管理をしたりソフトウェアにパッチを当てたり、
まさに職人芸でサーバーが運用されていた。

その様相を一気に塗り替えたのが、LAMPサーバー環境の登場だった。
優秀なIT職人さんがソフトウェアを寄せ集め、
コーディングで技術の差分を補いながら管理運用されていたWebサーバーから、
LAMPという「パッケージ」の登場で、
いままでの優秀なIT職人さんが不要になったのである。

「見た目」とUXの混同と、IT力の低下
Webサーバーの管理運用が楽になる一方で、Webをきれいに見せるための
フロントエンドの表現技術が向上することで、
リッチなフロントエンドを求める事業主が増加した。
これに伴い、フロントエンドエンジニアの人材ニーズが急増した。

職人芸でサーバーのおもりをしていた優秀なIT職人さんたちは、
こうした人材ニーズと報酬の変化と同期しながら、
フロントエンドの方向へと軸足を移していった。

リッチなフロントエンドを求める事業主が増加した理由は明確である。
Webページのアクセスが増えれば、オーナー企業の売り上げ増加につながる。
Webページのアクセス数を増やすための最もスピーディな手段は、
Webページの見た目をきれいにすることである。
開発コストを低く抑えながら売り上げ増加を実現する手段として、
多くの事業主は、Webページの見た目をきれいにすることを
経営戦略に盛り込んだ。

日本のIT力が年々低下していたことの一因は、ここにある。
こうした経緯から、
UXの向上とWebブラウザの見た目の美しさが、混同されてきた。
20年以上を経て、混同が誤解に変化し、誤解が誤認に変化した。
つまり、UXの向上はWebブラウザの見た目を綺麗にすることであるという、
意味のすり換わりが起こったのだ。

Webサーバーのおもりをしていた優秀なIT職人さんは
姿を消してきた一方で、HTML/CSSを触る人たちは急増した。
HTML/CSSはとても重要な技術である。
しかし本来なら、同時に、UX向上のためにバックエンド開発も進化するべきである。
理由は、見た目と中身はつねに一致している必要があるからだ。
ここでいうバックエンドとは、Webサーバーだけではなく、
その裏で動く基幹系システムを含む。

見た目(フロントエンド)とWebサーバー・基幹系(バックエンド)はセットである。
たとえれば、書籍のカバーと内容が、
レコードのジャケと内容がセットであることと同じである。
コンテンツを磨かず曲を磨かず、ひたすら装丁とジャケデザインにのみ凝るのは、
受け手にとって良いことか。
カバーはきれいだがつまらない小説、ジャケットはかっこいいがつまらない音楽、
これは面白くない。
服装も美しいイケメンだったが実は金銭目的の詐欺師だった、
これもよくない。

デザインが重要であることは言うまでもない。
つまり、見た目(装丁、ジャケット、顔、フロントエンド)と
中身(ストーリー、楽曲、人格、コンテンツ、ビジネスロジック、
バックエンド、顧客の手にする体験、UX)は、つねにセットである。

多様性の受容とは、見えづらいものを評価する態度である
突き詰めて考えると、バックエンドのおもりをする優秀なIT職人さんを
評価してきた経営者は、日本に果たして何人いるのだろう、という疑問が出てくる。
評価の課題は、優秀なIT職人さんがどれだけ収益に貢献してきたのか、である。
バックエンドは、どこでどう価値を生み出しているのかが見えづらい。

一方でフロントエンドは、
PVやコンバート率といった数値が瞬時に出るので見えやすい。スピード感は重要。
ゆえに、見えやすいもので短期的に数値評価し、
ときには過去のデータも参照してパターンをつかみ(いまはこれがまだ弱い)、
評価の精度をさらに高める、というスピード重視、結果重視の発想が、
「見えづらい」バックエンドのおもりをする優秀なIT職人さんの減少を招いた原因である。

価値の多様化、複雑化、VUCAワールド、などなど、キーワードが飛び交う。
が、そうした現実を、日本の社会や企業は、
この状況下においてすらまだ受け入れようとはしない。
受け入れようとしても、マインドや体質がうまく受け入れようとはしない。
日本人の民族としての課題だ。

多様化といわれるいま、時代は総合評価に来ている。
いままで数値化できなかった価値が数値化される時代が来た、ともいえる。
たとえば、ITの普及で、YouTuberやアフィリエイターなど、
いままであり得なかった価値を数値化し、金銭に変換して生活を営む人が増えてきた。
会社員の副業で月収150万円、という人は空想上の存在ではない。
代替エネルギーや農耕技術の普及で、年収200万円で豊かに生活している人もいる。
世の中には「YouTuberなんて大変だ」「年収200万円で豊かなわけなどない」
と反論する人が結構多いと察するのは、私だけではないはずだ。
では、そんな人たちはいったいなにを「楽で豊かな生き方」と定義しているのだろうか。
この辺は聞いてみたい。

データ分析の有効性と危険性
上記の「過去のデータも参照してパターンをつかみ」が、
今後の変革の強力なエンジンとなるだろう。
データの蓄積が成熟し、「過去のデータも参照してパターンをつかみ」が
実現するようになれば、AIを使って、「偏差値は低いがとてつもなく社会貢献する天才集団」を育成することも可能になる。

逆に、「高学歴なサラブレッドだが反社会的な行動や集団結成を行う可能性がある危険な人物」を選別することも可能である。
学歴や偏差値だけでなく、DNA情報やiPhoneで採取された生活パターン、
街路カメラでトラッキングされた行動パターンの採集、ワクチンの接種経歴、定期健診の
カルテ情報など、すべてのデータから評価が可能となってくる。
となると、「人間の持つ生命を人間が評価してよいのか?」
「では、生命とは何か?」「生命に優劣はあるのか?」
「ならば劣った生命には価値がないのでは?」という議論にも発展する。
こうした危険性は、過去の歴史が十分に証明している。
多様性が拡大すればするほど、データの重要性はますます高まる。

  * * *

数値化できなかった価値が数値化される時代。
評価軸が多様化したいま、私たちは自分の命の評価を得るために、
具体的に何をなすべきか。
これは、自分自身に対する強い問いかけでもある。

さっさと動き、この時代に「本」が生み出す本質的な価値を、社会に与えていきたい。